[まちの声]女性が幸福になるとき

「ベアテの贈りもの」を観て

 今年4月、女性が社会の表舞台に踏み出していく土台となった“女性の人権”と“男女の平等”(日本国憲法)を草案したベアテさんにスポットをあて日本の女性達、戦後のあゆみを描いた映画「ベアテの贈りもの」が岩波ホールにて上映されていました。

観て感じたことで〜す。

 幼稚園、小、中学校は教室の中には、だいたいどのクラスも半分ずつくらい男女がいたなぁ。
 高校は、・・となりのクラスは女の子3人だけ、自分のクラスは11人(コース別のクラスのため)。
大学は全員女性(女子大だったもんで)。
そう、将来を決めていく時点で、自分から?周りから?男女は振り分けられていくようです。
「男女の違い」そんな言葉でごまかしながら。
「女性が幸福にならなければ、世界は平和になりません。」ベアテ・シロタ・ゴードンさんの言葉です。一人ひとりが幸福にならなくては世界が平和になれない。そりゃそうだ。私は納得してしまいましたが。

では、女性が幸福になるとは?
私が幸福と感じるとき、それは誰かが決めて与えてくれたことではなく、自分で考え、動いて手に入れることができ、自分の中に迎え入れることができた時。&周りの人が幸せである時。(&が付いていることに注目です。)
自分で考え、動いてとは・・あれ?つまり学習して「成長」していくこと?かな。「周りも幸せ」ということだから、“女性が幸福とは、男女共に成長すること”

この映画の最後に国立市の景観問題に取り組んでいる方々の様子も映し出されました。その中である方が「みんな勉強をした。“裁判のこと”など、今まで経験してこなかったことを学習していくことは大事なことだ。」という風なことを言っていたように思います。

ん〜、やっぱ議員の半分は女性が必要ですよねぇ。男女共に成長するための環境を整えるためには。

立川市在住・藤田