私はポレポレを選択したいなっ

「アレクセイと泉」を観て

くにたちのまちを、歩きます!ぜひご一緒に!
くにたちのまちを、歩きます!ぜひご一緒に!
 息子が小学5年生の時、近くに「ポレポレ」という名のケーキやさんがあった。彼は、お店の人にその言葉がスワヒリ語で「のんびり、のんびり」という意味だと教えてもらい随分気に入ったようだった。近くを通るたびにポレポレでサーターアンダーギーを買ってきていたのを思い出す。

 先日、国立市内で「アレクセイと泉」というドキュメンタリー映画を見た。本橋監督のお話も聞くことができ、とても充実した1日であったが、手伝いもしたので朝から夜遅くまで連れ合いに連絡もせずに出ていたら、機嫌を損ねてしまった。ちょっとやばい・・
 ・・横道にそれてしまいましたが、この映画は1986年に起こったチェルノブイリ原発の爆発で放射能が検出された180キロ離れた村で泉を中心に生活する村人の日常を記録したもの。不思議なことにこの泉からは放射能は検出されない。若者が避難していなくなった村では、泉の枠組みの修理を行う男性5人の平均年齢は71歳。仕事が終われば泉の傍らでウォッカらしきものをぐびぐび?!と飲む。女も男も農作業のときアヒルや馬に話しかける。じゃがいもを堀っている土に首を突っ込む豚に「おまえは掘ってくれてるの?掘ってないの?」、春、顔をみせた蛙に「キミは素敵だね。」と。村で一番若い34歳のアレクセイさんのゆっくりとした口調で語られる生活は自然からお借りしたものを自然に返していく仕組みそのもの。
 監督のお話のなかで「どうして逃げないんですか?と未熟な質問をしてしまったら、“だって放射能というのは人間が汚したものだろ、・・”」という言葉があまりに印象に残り続きを忘れてしまった。誰かこの続きを覚えている人がいたら、国立・生活者ネット藤田まで連絡ください。
 東京では電気がなければトイレも使用できない仕組みになってしまった。アレクセイさんが住んでいる村では、高齢の女性が泉から水を運ぶときに手伝ってもらえる若者がいなくなって困っている。

画像をみながら、今「節電」という貼り紙が貼られているお店や施設を思い浮かべた。節電という言葉は我慢を強いられているような強制感があり、私にはちょっと・・。
でも私たちの便利さを維持するために誰かが犠牲になるのは本当に苦しい。爆発を回避するために危険を覚悟して原発で働く人を作りたくない。子ども達が今度は自分の番かもしれない、と見えない放射能の影響に怯える姿を想像したくない。
 だから、私はゆっくり、ゆっくりした効率的でない生活を送りたい。不便でたいしたこともできない生活を選びたい。我慢するのではなくポレポレをえらびたいなぁ〜
fujita