景観という言葉から考えること

2009年10月2日 18時26分 | カテゴリー: トピックス

今朝のニュースで<鞆の浦景観訴訟>

秋なのに朝顔見つけました(^^)v
秋なのに朝顔見つけました(^^)v
 ラジオから、「<鞆(とも)の浦景観訴訟>県に埋め立ての差し止め命じる」というニュースが流れてきました。同時に景観利益が初めて認められた判決として「国立マンション訴訟」のことを例にレポーターがしゃべっていました。

 むかーし「景観」ということばに、「見た目」ということばをあてはめてしまった記憶があります。そうすると、景観なんて重要なことではないような気がしていたのですが。

でも、考えるとどうもそんなうわべのものではないですよねぇ。
 説明するのは、かなり困難ですが。
 それでもわかるのは、景観利益より経済的要因を優先すると必ず人が住みにくいまち(場所)をつくってしまう。ということではないでしょうか。
 環境が一部破損するのは、まず誰でも気がつきますよね。工事をするために自然のものを何かしら壊すわけだし。また、高層ビルであるならさらに災害時の心配もでてきます。
 そして子どもを育てていて一番思ったのが、子どもたちに「なんでも壊して新しいのをつくればいいよ。」という思いを伝えてしまうことが怖かった。
「存在するものを愛しむ心」や「楽しいこと、楽なことを優先していく心」をつくってしまうようで(利潤優先、利便性の優先、そんな場所をつくってしまうわけですから)。

でも、「工事を全部するな!」というわけではないですよね。多くの技術があれば雨水を地中に帰せて歩きやすい道路も作ることができるだろうし・・いろいろありますよね。
 それには住んでいる人が景観の重要性を受け入れていくというのは欠かせない要素です。国立市はほんとにまちのことを一生けん命考える人たちがいっぱいでいいですよね。

 国立市では高層マンションの上層部の撤去を認める判決が出ましたけれど、実際にはマンションはたってしまっていました。
「鞆の浦」では埋め立てる前に差し止めを命じることができたなんてすごい。